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「生きる」偏見を捨てて観るべし!

 今回は黒澤映画『生きる』(1952年)です。
この前他所でチラと見てから久々にも一度見直したくなりレンタルして来た。
いやココで引いてはいけません。確かに軽い作品ではない。が暗く悲惨な映画と云う訳でもないのです。「独りの男」の映画です。
以下、主線と感想ですが多少ネタバレ有りです。


※画像は特典映像を簡素化した普及版DVD。
完全版「THE MASTERWORKS」『生きる』は別です。

冒頭、ナレーションでこの役所勤めの主人公・渡辺勘治はそれこそボロカスに紹介される。”20年程前から死骸も同然”だとか”忙しい々と言いながら本当は市民課長と云う椅子を守ること以外何もしていない。”とかもう、これ迄の人生を全否定される程散々な言われ樣である。胃癌であることもこのナレ−ションと、御丁寧なレントゲン写真に因って本人より以前に観客は知ることになるがその語りも”この男がこれ迄の人生の無意味さを悟る為にはもっと、胃が悪くなる必要がある。”と辛辣極まりない。
嫌が上でも”憐れみ”と云うより”蔑み”(さげすみ)の視点になってしまうのが人情で、病院の待合室で同席した男に渾々と胃癌の末期症状を聞かされ、主人公の顔つきが変っていく様すら滑稽に見えてしまう。
が・・・・・・・。
失意のまま帰宅し、同居している息子夫婦が住む真っ暗なニ階の部屋で佇む場面では一転、私は主人公を蔑むことが出来なくなった。回想の中で「光男・・・光男・・・!」と息子の名を連呼する主人公に私は晩年の自分の母親の面影を見てしまった。
私の父はそれこそ死の瞬間まで快活な人だった。
が母は、相手に依存した盲目愛と云うか、尽くす対象がいないと自分の生きる価値を見出せないような女性であった。父が亡くなってからの母は、亡夫への想いと庇護する対象を求める想いの狭間で苦しんだ。この主人公のごとく、気がつくと灯を消して寝ている私の傍らにじっと佇んでいる,そんなことが何度あったろう。母もまた、心の中で私の名を呼び続けていたに違いないのである。

飲み屋で知り合った小説家に我が身を語り、放蕩の一夜を懇願する勘治。自らを善良なメフィストフェレスだと称して勘治に付合う三文小説家だが、主人公を見つめるその目は段々と、畏怖の色をおびて来る。勘治はダンスホールでピアノを伴奏に「ゴンドラの唄」を涙ながらに口ずさむが、この顔がまた、何と表現していいのか判らない程爆発している。顔全面に不幸を凝縮させた,と云うか口は悪いが踏みつぶされたカサゴかオコゼのようなとにかく凄まじい顔なのである。
翌朝、満たされる筈もなく街を彷徨う勘治は同じ課の若い事務員小田切とよと出会う。あんな退屈な所にはこれ以上居られない,と辞表提出する「とよ」に、と言うより「とよ」の活気に主人公は惹かれ、会う機会を重ねるがあまりの執拗さに「とよ」は”老いらくの恋なら御免だ”と釘を刺す。
”そうではない、君の活気がうらやましいのだ。胃癌で余命幾許もない自分は、君の様に生きてみたい。何かをしたい。がそれがわからない。君なら知っているはずだ。”と勘治は「とよ」に詰め寄る。
”わたしは食べて働いて、こんなもの(おもちゃのうさぎ)を作っているだけだ。課長さんも何かつくってみたら・・・。”と「とよ」。
もう遅い,と顔を背ける勘治だが何かを思いついたのか一転、「役所でも何か出来る!わしにも何かが・・・!」と笑みを浮かべる。気味悪さに念わず「ヒイッ!」と腰が引けてしまう「とよ」。おもちゃのうさぎを抱いたまま、喫茶店の階段を駆け降りる勘治に、別の女学生集団のハッピー・バースディの唄が被さる。役所に飛んで帰り、宙吊りとなっていた黒江町下水問題の陳情書を取り出し、管轄たらい回しの根源である回覧を破った勘治はその足で現場に出向かう。己が「再生」に動き出す主人公に再び流れるハッピー・バースディの曲・・・。

これが前半である。
さぁここから主人公の、病と黒江町公園化に向けての戦いが始まる,と思いきや、ここで再びナレーションが入る。
「それから五ヶ月,この物語の主人公は死んだ。」
突然主人公の通夜なのである。後半はこの、通夜の席での登場人物たちのディスカッションと回想に終始する。

遺影と祭壇を中心に据え、左に管理者クラス、右に市民課職員が並び、さながら舞台劇の様相でニ幕は始まる。
雪の降る夜、黒江町公園のブランコで亡くなった彼の死に疑念を抱く記者達や、涙ながらの黒江町のおばさんの一団、死の直前を見たと云う警官等が入れ代わり訪れる。その中で黒江町公園化の真の功労者は誰なのか?勘治は己が病を知っていたのか?等々が公僕達それぞれの回想から徐々に明らかになっていく。これらの回想シーンもあくまで登場人物たちが見たことを元に語られるので、主人公の影の部分は描かれない。”そうだこんな事があった!”と思い出す事を頼りに、ことの真相を皆が考えるのである。
「渡辺さんに続け!」と段々と集団催眠のごとく意気高揚していく市民課職員達。がそんな能力開発セミナーで培った様な自己啓発意識など長続きする筈もなく、また何事も無かった様にお役所仕事は継続されて行く。残ったのは勘治の造った公園のみ,であった。



私はこの作品ほど未見の人が実際とは異なったイメージを抱いてしまっている映画はないのではないかと密かに思っている。『生きる』はのんべんだらりと役所勤めをしてきた男が死を目前にして病と闘い乍らも良心に目覚め、地域住民に貢献する,などと云う人情噺ではないしまた、その行為を賞賛するものでもない。善行は結果的なものであって、例えば彼がケチなチンピラだったとしたら、莫大な利益の闇物資ルートを開拓する,などと云う野望に燃えたかも知れないのである。死を目前にして生きた証しを求め、その成就に突っ走った男の話なのだ。
主人公・勘治役の志村喬氏の演技も名演には違い無いのだが、「鬼気迫る」とか「迫真」とか云う文字通りの演技的賞賛も少しズレているように思える。凄まじい演技なのだが、役を創り込んだと云う気配や受けを狙ったケレン味がない。
「いや,つまり,わしは,その」と煮え切らず、小田切とよに「そんな雨だれみたいにポツンポツン言わないで!」と言われてしまう語り口。
ダンスホールで「ゴンドラの唄」を呟く時の涙。
工事中の公園で転び、水を汲んだ杓子のアルミの反射光に照らされる顔。
地元やくざに殺すぞ,と脅された時の、笑みともとれる形相。
暗闇の中、表情さへ判らないのに楽しそうに見えるブランコでの「ゴンドラの唄」。役と同化していながら「凄み」を感じさせるのである。
志村喬氏この時四十七歳,今の私の二歳上である。

後半、通夜のシーンの各役者さんのやりとりも見応えがある。演劇としてのリアルさ,と云うか各キャラクタがそれぞれ、上手に炊いた米粒のごとく立ち上がっている。『十ニ人の怒れる男』しかりなのだがコレは中々のことだと思う。加齢臭とポマードの匂いが漂って来そうなオッサンたちが角突き合わせたシーンを延々と、観客を辟易させずに見せられる俳優陣と監督,感服せずにはいられない。

現代と当時との文化や社会的背景の違いも興味深い。主人公の胃癌にしても手強い病気であることは変らないがやはり捉え方には現代とはかなりの差がある。
三文小説家との悦楽に惚けるパチンコ店や酒場の異様な人混みと狂乱風景。日本家屋の二階で頑なに洋式生活を営もうとする息子夫婦と、一階に住む主人公の生活の対比。息子のセリフ「40〜50万で家が建つ」「親父の退職金は60〜70万」、ヴェロナールやアドルムと云った睡眠薬の名前等々。

小田切とよ役の小田切みき嬢はTV「ケンちゃんチャコちゃん」のチャコちゃんこと四方晴美嬢のお母さん。この「生きる」での笑い方はアニメ『火垂るの墓』の節子にそっくりだった。
三文小説家役、伊藤雄之助氏は以前、私が小学生か中学生だった頃故郷の愛媛県広見町(現鬼北町)近永でお見かけしたことがあった。知人の地元有力者の選挙応援か何かで来られていた筈なのだが定かではない。(御存知の方いらっしゃいましたら御教え下さい。)その他のキャストも今見るとそうそうたる顔ぶれだが、注説しているととんでもなく長くなりそうなので省略する。

管理社会の中で主人公が成し得たことは、現実には難しい夢物語かも知れない。
ダシール・ハメットのハードボイルド探偵小説の主人公サム・スペードを作者自身は「夢想の男」(ドリームマン)と呼んだ。そう云う意味では渡辺勘治もドリームマンと言えるのではないか。満身創痍で物事に当たって行く姿もまた、ハードボイルド小説の男達と共通する気もする。
「酔いどれ天使」
私の拙い駄文で『生きる』をレンタルしてみよう,と思われた奇特な方は『酔いどれ天使』も是非合わせてお借りを。志村氏演じる馬力のある町医者は必見。本作とは一転したキャラクタを堪能出来ます。
『生きる』同様、やくざに命が惜しくないのか,と脅されるシーンがありますが、こちらでの志村氏は気前良く「何言いやがる! 一人前の人殺し面するな。お前より俺の方がよっぽど殺してるよ!」と啖呵を切ってくれて中々に格好が良いのでありました。

※画像は特典映像を簡素化した普及版DVD。
完全版「THE MASTERWORKS」『酔いどれ天使』は別です

| 未分類 | 10:32 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

先日。
何かの番組でも黒澤映画ファンの芸人さんが
「生きる」を絶賛してました。
 
例のレンタルビデオ屋さんで探してまたコメントさせて
いただきます。
今度はさすがにありますよね?(笑)

| しぃ | 2008/08/23 08:50 | URL | ≫ EDIT

しぃ様
 あのやはり、黒澤作品て云うのは何かメッセージ的な物が必ず有る筈、との先入観から「重たい」と思われがちですが、そんなことを抜きにしても単純におもしろいんですね。
「生きる」だって主人公の置かれた立場は確かに同情して有り余りますがそれより、先ずは作品として共感出来るかどうかだと思う。
深刻な主題の媒体を探すのであれば他にいくらでもありますもんね。
映画とドキュメントは違う。いかに崇高なメッセージを作品に込めてもその手段が貧困なものであればそれは失敗だと思います。
「解って貰う為には媚びを売れ」と云うのともまた違いますが、人を惹き付けるモノがあって初めてエンタテイメントとして成立するのではないでしょか? 黒澤さんの作品もしかり。
”生きることの意味”なんて云うのは観た後おのおのが感じれば良い。とりあえず「素」の状態で観て、良かった,か否か,だと思います。

PS 近々地元にも「TSUTAYA」出来るそーですよー!!

| hawk | 2008/08/23 10:19 | URL | ≫ EDIT















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